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Face to Face No.120 「二つの人生」

F2F120伊東敏夫さん
28回生 伊東敏夫(埼玉県さいたま市在住)
垂水中学卒
バレーボール部(一年時のみ)
神戸大学工学部システム工学科
株 ハイパーデジタルツイン代表取締役社長

49才の時、突然の死が妻をおそい、それまでの人生が終わってしまったように感じた。数年の時を経て、自動車メーカーの研究員から大学教授へと転身した伊東さんは新しい縁を得て再婚。なんと、56才で初めて父となった。65才の大学教授定年後は、大学発ベンチャー企業の認定を受けCEOに。研究内容は「デジタルツイン」。デジタルツインっていったい何??

 56才で父となるなど、まるで二人分の人生を生きているかのような伊東さんに歩んできた道をお聞きしてきました。

ー人工知能の研究に邁進ー
 大学時代、オートバイにはまっていた伊東さんは、当初はオートバイメーカーに就職したいと考えていた。「ホンダは熱い人が多そうだなあ。ついていけないかも。だったらスズキかな」と漠然と考えていた時に、ダイハツに勤めていた大学の研究室の先輩がやってきた。
F2F120伊東さんバイク

「スズキは給料安いでー。ダイハツはええぞ!仕事終わったらいつでも帰ってええねんぞ。オートバイ好きなんやったらそれを仕事にしたらあかん。趣味にしとけ」。の一言で、あっさりと自動車メーカーに就職を決めた。

 入社当時の車はまだ「メカ」の時代。だが今の車はコンピュータなしでは動かない。伊東さんが入社したのはちょうど、その変革の時代に突入しようとしていた時期だった。

「入社した頃、同期とは、これからは自動で運転する時代が絶対に来る!パイオニアになりたい!と熱く語り合っていました」伊東さんが入社した1982年は一般ユーザーにとっては自動運転など夢にも考えられなかった時代だ。

 会社の同僚だった町子さんと結婚したのは27才の時。朗らかなところが好きだった。

 人工知能というものをどうしても勉強したい。大学院に行きたいと上司に申し出たのは29才の時だ。理解を示してくれた会社のおかげで、休職して、豊田工業大学に2年間通うことができた。修士を取得して復職。研究を社外発表しはじめると、海外(欧米)からのメールの宛先は全てDr.Itoで来るようになった。欧米では研究するのは博士なので、Drをつけるのがデフォルトだったらしいと後に知った。

 上司の知人だった金沢工業大学の先生から社会人学生として学位をとりにこないかと話しをいただいたのは37才の時だ。上司に相談したところ、仕事さえ納期通りにできればOKと快諾を得た。社会人学生は週に一度だけ大学に通えばいい。

 手続きを始めた所、大学時代の指導教員の推薦状が必要だとわかり、出身大学の神戸大学に行った。「社会人コースは神戸大学にもあるで。うちに来いや。人工知能の研究してる先生も紹介したる!」とその場で話が決まった。

神戸大学なら住んでいる大阪の池田からも近い。金沢工業大学の先生には改めて謝罪に行き、神戸大学で、三年間、学生たちと共同研究をした。博士論文は「明るさ解析型形状推定」。なんのこと??

 こちらを向いている面は明るく、あちらを向いているところは暗く見える。この性質を利用して二次元である画像情報を三次元の奥行きのある立体情報に変換するという研究だ。そして、これは今、経営する「ハイパーデジタルツイン」にも繋がっていく。

 仕事をしながらの研究だったので、研究する時間、論文を書く時間の確保には苦労した。休日はもちろんのこと、普段の夜更かしや出張時の移動時間など、使える時間は全て使った。「学生の指導も社会人学生の役割の一つでした。そしてその関係性の中から、何人もの学生がダイハツに来てくれた。研究時間の確保は大変だったけれど苦ではなかったです。楽しい時間でした」

 49才で電子技術部の部長になった伊東さんは「会社人生で一番のっていた時期」と言う。

ー妻との別れー
 そんな49才の時のことだ。「奥さんが出先で倒れて病院に運ばれ昏睡状態」と出張先の伊東さんに連絡が入り急遽戻った。  心臓の大動脈解離だった。手術をしたが意識は戻らない。人工呼吸器と人工心肺に繋がれ、医師からは「脳死よりもひどい状態です」と宣告された。妻は亡くなった。

 「声を上げてわーわー泣き続けました。でも不思議ですね、人間ってそんなに長い間泣き続けられないんです。酸欠になって頭も痛くなってくる。悲しくて悲しくて泣きたいのに泣き続けられない。もう、涙が出てこないんです」

 長田高校卒業30年で初めての大同窓会をした28回生。伊東さんの妻が亡くなったのは、この大同窓会から間もない時だった。すっかり元気をなくした伊東さんを心配して、水樋さん(旧姓丸岡)と大塚さん(旧姓竹島)がカニを食べに行こうと誘ってくれた。思えば第二の人生の重要ポイントに28回の同期生がかかわってくれるようになるのだが、その話はもう少し後になる。

 自動運転に特化した研究部門が新設され研究を続けていたが、会社の中のコンピュータシステムをレベルアップする必要に迫られ、伊東さんはその開発を任された。

ー新しい時ー
 55才の時、芝浦工業大学の先生から「退職するので研究室を引き継がないか」と声をかけられた。やりたいことは会社のコンピュータシステムの構築ではなく自動運転。渡りに船だとお願いした。ちょうどその頃、千鶴さんとの出会いがあった。何故か出会った時から親近感を覚えた。「彼女の実家が僕の父の田舎とご近所と知り妙に納得しました」。車やバイクの趣味も合い、表情や立ち姿にも惹かれた。そして、思いがけないことが起こった。千鶴さんの妊娠が判明したのだ。生まれてくる子どものためにもなるべく長く働きたい。

 「声をかけられて、私はもう自分に決まっているのだろうと思っていたのですが、蓋をあけたら公募で、なんと応募者は40人もいたのです。もう早期退職も受理されていたので後にはひけません。綱渡りでした」

 無事に芝浦工大に教授の席を持つことができ、兵庫県の川西から大学のある埼玉県東大宮に引越した。東京での28回生の集まりに伊東さんが初めて顔を出してくれたのは、神撫会東京支部総会のあとの28回生の二次会だった。サラリーマンから大学教授に転職。しかも若い奥さんと再婚してもうすぐ赤ちゃんが生まれるらしい!大いに皆に冷やかされていたまさにその時、「破水したからタクシーで病院に行く」と連絡が入り、大慌てで帰宅した伊東さん。まさにその日に父となった。赤ちゃんは篤之介と名付けられた。28回生の間では「とくちゃん」と呼ばれている。伊東さんの名誉のために付け加えると、予定日までにはまだ少しあったので、奥様は気持ちよく同窓会に送り出してくださっていたとのこと。決して臨月の奥様を放り出して飲み会に来ていたわけではありません。

 「56才で初めて子どもを授かり人生観ががらりと変わりました。不思議なことに好みも変わって、何故か急に猫が好きになったんです。仕事も大学の教員になって、かかわるのが学生たち。会社はある意味戦いの場だったけれど、学生と子どもを育てているうちに、すっかり人間が丸くりました」

 長年の夢だった海外留学のチャンスもやってきた。文科省の「スーパーグローバル大学」制度が始まり、モデル校の一つとなった芝浦工大。この制度には教員留学の目標値があったのだ。この制度を利用するためには、帰国後も3年間は大学に在籍する必要がある。帰国後の3年満了がちょうど定年退職と重なるため、万が一飛行機トラブルなどで帰国日が遅れる場合も考慮しておいた方が良いと事務局にアドバイスされ、帰国日は2020年3月24日に決まった。

 前妻が亡くなった後、カニ旅行に誘ってくれた水樋さんのご縁で、28回生の神戸在住の女性たちと夫婦単位での交流はずっと続いていた。大宮から神戸に帰るたびにとくちゃんも一緒に食事会に呼んでくれた。そして、その中の4人がイギリスまで遊びに来てくれたのだ。2020年の1月末から2月初めにかけて。

 この年月日が何を意味してるか賢明な読者諸氏はわかりますよね??そう、まさに世界がコロナに翻弄されはじめた時なのです。

 長田女子4人が帰国すると、日本はもう大騒ぎの渦中。そして、伊東さんが帰国した3/24からイギリスは外出禁止。まさに、いろんな偶然が重なって無事にイギリス留学を終えたのでした。
F2F120女子4人旅
イギリスに来てくれた長田女子の面々!西川さん(帯刀)、水樋さん(丸岡)、陣野さん(吉田)、梶山さん(久富)
カッコ内旧姓

ー未来に向けてー
 大学を定年退職したあと、芝浦工大の大学発ベンチャー企業の第一号認定を受け、株式会社ハイパーデジタルツインのCEOに就任した。実社会に置かれたレーザーセンサーとコンピュータの中を連動させ、リアルの世界をコンピューターの中にオンタイムで再現する。たとえば自動運転の場合、車のセンサーでは死角は認識できないが、実社会にセンサーが配備されているので死角はなくなり、車にセンサーをつけなくても、インフラとしてのセンサーが現実社会に配備されれば自動運転できるという。

詳しいことはこちらをぜひ!
https://www.shibaura-it.ac.jp/headline/detail/20230825_7070_902.html

「無から有をつくるのがエンジニア」「人類を楽にするのがエンジニア」伊東さんはそう考えている。
「とと(お父さんの意)と一緒に研究したい」小さいとくちゃんがそう言ってくれたのがとても嬉しかった伊東さんは、今、二つ目の人生のど真ん中を歩いている。
(2024年2月 取材、文、写真
28回生田中直美)

編集後記
「今度、伊東くんが東京へ引っ越すからよろしくね」。と神戸在住の長田女子から連絡をもらったのは2013年の春。6月に初めてお会いした日にパパになってびっくりしたのが昨日のことのように思い出されます。今回、伊東くんの来し方をゆっくりとお聞きすることができました。まさに二人分の人生を歩いておられるように感じました。私なんか、すっかり余生気分なのに!(笑)伊東くんのエンジニアの仕事で私たちの老後を明るくしてくださいね!
F2F120_28回生同窓会
28回生の仲間たちと。前列右端が伊東さん。
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