Face to Face No.118 「人生、何が起こるかわからない」

31回生 原口百合子(旧姓 豊増)
垂水東中学卒
硬式テニス部
神戸大学教育学部初等教育科卒
みよし市議会議員
子育て後は近所の小児科の受付でパートをしながら普通の主婦をしていた原口さん。55歳の時にあみだくじに当たって引き受けてしまったマンション管理組合の理事長の職が引き金となって、みよし市三好丘行政区長、みよし市教育委員会委員を務め、62才の今年、みよし市議選に当選。そんな原口さんにお話しをうかがってきました。
ー第一の転機ー
大学卒業後は、男女雇用機会均等法制定の機運が高まる中、地方採用の営業職第1期生として、オリエント・リース(現、オリックス)に一般職として採用された原口さん。営業職として担当した企業は比較的中小企業が多く、接する人は社長や総務部長など原口さんよりかなり年長の人が多かった。
「大企業だと数字でしか判断されないことが多々あると思いますが、中小企業では、人との信頼関係が重んじられることもあるように感じました。この時の仕事から、人との距離の詰め方を学んだように思います」
四年後、結婚と同時に愛知に移ることになりオリエント・リースを退社。夫の上司が「神戸からこんな田舎に来たらノイローゼになるかもしれない」と、三和銀行のパート職をみつけてきてくれ働いた。オリエントリースでの経験もあり、人と接することも苦にならなくなっていた原口さんは、パートから出張所開設準備室のメンバーへ。そして開設後は銀行の窓口テラーとして契約社員で働いていたが、夫の東京への転勤で退職。28才だった。
その後、ふたたび夫の転勤で愛知県みよし市に住居を移す。
「神戸という都会に生まれ育った私ですが、結婚を機に車社会の地方での生活が始まりました。ペーパードライバーだった私ですが、今ではどこへ行くのも車です。地方での生活が車なしではなりたたないことを実感しています。この地方への転居というのは、私の人生の一つの大きな転機かもしれません」
子育てに一息ついた2007年から小児科クリニックの受付でパートの仕事を始めた。「子どもの予防接種が全て無償化になればいいのに、と思っていました。家庭に金銭的な余裕があるかないかで予報接種が受けられない子どもがでることを理不尽に感じでいました」
ー第二の転機ー
原口さんに第二の転機が訪れたのは2015年。マンションの管理組合の理事長にあみだくじで当たってしまったことだ。
「ちょっとショックではありましたが、この時は『まあ、なんとかなるよね!』精神でした。理事長の任期は一年でしたし、その年は大規模修繕などの予定もなく、見直しの討論もなかったので、大過なく一年の任期を終えました」
ところが、このマンション管理組合の理事長を引き受けていたことでみよし市三好丘の行政区長を引き受けることになる。
行政区の防災訓練にマンション管理組合の理事長として参加していた原口さんは、当時の区長に「女性の区長があまり誕生していないし、業務もさして理事長とかわらないから、ぜひ区長を引き継いでほしい」と言われる。役員選考員会の委員長にも再三にわたって説得され、ついに「根負け」した形で引き受けた。
「ところが、これがマンションの理事長とは比べものにならないほど大変でした」
区長は市長の委嘱を受ける。三好丘行政区は世帯数約2000戸、人口約4500人。市から補助金も出て予算総額は1900万ほど。
みよし市の新興住宅地である三好丘地区6行政区には整備された地区施設が少なく、それを補完する地区拠点施設の建設にあたっては協議会やワークショップで市民の声を拾うことができた。
しかし、前年度までにすでに協議会やワークショップの終わってしまっていた「駅前ロータリーの開発工事」は「とても印鑑を押したいと思える内容ではなかった」
バス停の位置が高齢者への配慮にかけ、遊んでいる土地も多く、工夫すればもっととれるはずのお迎えの車のためのスペースも少なかった。
とはいえ、すでに協議は終わり、求められたのは着工開始のための行政区長としての印鑑。
「この時、今まで行政に無関心でいたことを、私は後悔しました。そして、これが市議会議員になろうと思ったきっかけです」
区長の任期は2年だったが、在任中に教育委員会の地区割の変更があったこともあり「区長の任期も終わるし、区長よりは仕事はずっと楽だから、あんたやりん(あなたがやれば)」と他の区長に言われ引き受けることとなったのが教育委員。
「外国にルーツを持つ子どもたちや発達障がいで特別な支援が必要な子どもたちや不登校の子どもたちのためのスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーにスクールロイヤー。必要な制度はたくさんありますがそのためにはまず予算をとってこなくてはいけません。全校生徒にタブレットを配布しましたが、授業中でさえセキュリティを突破してYouTubeやゲームを楽しむ生徒がでたりで、なかなか一筋縄ではいかないというのが現況でした」
ー第三の転機ー
そうしてついに市議会議員に立候補することを決める。定員20名に対し立候補者は26人。ここ8年間女性議員はいなかったが、今回の選挙で5人立候補した女性候補は5人とも当選。
支援団体の無かった原口さんは、家族や友人たちと手作りでの選挙戦を戦い、20人中3位で当選した。
議員になってまだ半年。なんとか2期8年はみよし市の発展のために働きたい。そのあとは、自分の体力と気力次第。教育、子育て、介護、まちづくりの4項目に公約をかかげた。
少子高齢化で問題は山積みだ。みよし市は2022年12月に若い市長が誕生したばかり。だから今がチャンスではないかと考えている。
車の運転ができない高齢者が増えてきた場合の代替手段はどうするのか?駅の徒歩圏内にあるトヨタのスポーツ施設や、サッカー、ラグビーのプロスポーツの練習場に来場する人たちに、なんとかみよし市でお金を落としてもらえるような戦略はないか?月1のこども食堂の対象者と回数を増やしたい。などなど、実現したい事柄は次々と浮かぶ。

うきぐも食堂(みよし多世代・子ども食堂)でボランティア中の原口さん
「でも、私はまだ何もなしえていません。数々の巡り合わせでここまで来ました。私のモットーは『和をもって貴しとなす』です。調和が取れないと仕事にならない。専門家の意見も聞き、市民の意見もすくいあげていく。いろんな人の意見をきくことがまず私の最初の仕事です」
「若い頃はまさか自分がこんな仕事に就くとは思ってもいませんでした。人生は何が起こるかわかりません。皆さんも、これから思いもよらない経験や、色々な人との出会いがあると思いますが、それらすべてが財産です。その時々に、自分の気づいたこと、こうしたいという思いを大切にしながら、歩んでいってください。」原口さんから現役長田生へのアドバイスだ。
(2023年10月 取材、文 田中直美)
編集後記
「早弁して昼休みにテニスの練習をしたり、部活終わりに近くのお店で買い食いしたり。特に勉強ができたわけでもなく、部活で成績を上げたわけでもなく特筆すべきエピソードが思いつきません」と、インタビュー当初から一貫して謙虚な原口さん。
長く専業主婦をしてきた原口さんは、与えられた役目の中で行政の問題点に目覚め、自らの力で少しでも改善したいとここまで歩んでこられました。これからの8年でみよし市がどんな風に変わっていくのか。みなさんも、「みよし市」というワードをニュースに見つけたら原口さんのことを思い出してくださいね。
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