menu

Face to Face No.114 「アマセンから学んだ人生の指針」

FtoF114小阪博司さん
34回生 小阪博司
白川台中学卒
神戸大学法学部卒
住友生命保険相互会社入社
シーエスエス代表取締役社長(現職)

 現在、大手生保の子会社で社長を務める小阪さんだが、人生の指針は長田時代の恩師の言葉に端を発すると言う。そんな小阪さんに、長田時代の思い出を中心に、お話をうかがってきました。

ー3000メートルダッシュの教えー
 幼い頃から野球少年だった小阪さん。将来の夢は体育教師になることだと言っていた小阪さんに、「体育教師になりたいのなら、長田高校の天野先生の下でバスケをやれ」と勧めてくれたのは中学時代の体育の先生だった。小阪さんは先生の言葉に従い、全くの未経験だったがバスケ部に入部した。
 
 「バスケ部ではまずアップで3000メートル走ります。中学時代は1500メートルしか走ったことのなかった私は当然ペース配分しながら走ってました」数ヶ月が過ぎた頃、天野先生ことアマセンに呼び出された小阪さんは「お前、ペース配分してるだろ!最初から全力で走らんかい!」と言われる。
 「そんなのできるわけない!と思いながらも、それなら走ったるやないかい!」と次の日からは最初から全力ダッシュした小阪さん。「めちゃくちゃしんどかったです」。だが、タイムは日に日に伸び、12分台だったラップは二年目には9分台。これが成長というものか、と体感した。
 そして、この経験がこの後の人生の全ての基本となったと、小阪さんは言う。

-背番号4-
 バスケ未経験だった小阪さんだがアマセンからキャプテンに任命され、背番号4をもらった。
 朝は5時に起きて一時間半かけて登校。朝練してお弁当食べて午前中の授業で爆睡。昼練して午後の授業でも爆睡。本ちゃんの練習では3000メートルの全力ダッシュ。その後、50メートルダッシュを50本することも。そして、やっと体育館を使わせてもらっての練習。夏の合宿、冬の強化練習では練習中に次々と仲間が倒れるなか、「キャプテンにしてもらったアマセンに御恩返しをするんだ」と意地でも最後までやり抜いた。

 だが、リーグ戦で2部降格が決定。試合後のミーティングでアマセンは言った。「このチームは解散や」。大変なショックだったが、また1からやり直すしかないと思い直し、翌日、神撫台グラウンドでいつものアップの3000メートル走と50メートルダッシュの練習を下級生と続けるも、同学年の仲間はだれも来ない。
 「もう自分が責任をとって辞めるしかないと思い、そう宣言して神撫台グラウンドから部室まで駆け下りました。後輩全員が、部室まで追いかけてきて辞めないでくださいと言ってくれる。おもわず感極まった僕は泣きながら、キャップテンとして何もできなかった、申し訳ない。練習に戻れと言いました。そんな僕に、さらに泣きながら辞めないでくださいと言う後輩もいる。ちょうど指導にきてくださっていたOBは、着替えながら僕たちのやりとりを聴いておられましたが、甘えるな!と平手打ちされました。なんだか、振り返ると青春映画みたいですよね」
 「今思うとバカなことしたなと思います。若かったんですね。意地を張りすぎました。同期の仲間は練習に戻り、僕にも毎日、戻ってくれと電話をくれました。アマセンもなんでおまえが辞める?と言ってくれた。でも僕は戻らなかった。結局アマセンは僕の学年には新しいキャプテンを任命せず、背番号4は欠番になっていたと後から聞きました。そうしてくれたことにアマセンの気持ちがあるように思い、心密かに感謝しました」
 後悔先に立たず。今は、仲間たちがOB会に足を運ぶのをみて、自分も堂々とOB会にでたかったなあと思う。でも悔しさはチャレンジ精神の糧。有難い経験だったと思っている。

ー子育ても全力疾走ー
 全力で打ち込んできたものが消えて、しばらくは学校も休んだ。両親は何も言わずに見守ってくれた。「休みながらも、留年しないように出席日数だけはきっちり数えてました(笑)」
 そしてようやく部活のない生活を楽しめるようになって気づいた。クラスにいるかわいい子!
「もう受験モードになっている三年生なのに交際を申し込みました。付き合うとは言っても毎日一緒に登下校するぐらいのものですが」
 そして、この同級生と25歳の時に結婚。一男一女に恵まれ、二人の子どもも長田を卒業した。 
 子どもたちが中学生になるまでは、子どもたちが自然いっぱいの中で暮らせるように小阪さんが岩手から東京に逆単身赴任。だが、毎週末、必ず岩手に戻り、子どもたちと過ごした。「とにかく子どもたちといる時間が楽しくて!ここでも全力疾走です」
 長男は小学6年生でスキーの1級を取得。長女もお兄ちゃんに続けと小学3年生で市内のスキー大会で準優勝。二人とも自然児に育った。
 「妻はもともとはガチガチの文系タイプなのに、子どもたちに付き合ってアウトドアでも頑張ってくれました。気づいたら今でも年に1回行く家族スキーの時など、僕よりスタミナあるんじゃない?ってぐらいです(笑)」

ー大学院で学ぶー
 大手生保に就職した小阪さんは、ここでもアマセンの「3000メートルダッシュ」の教えを守りいつも全力疾走。本社勤務を終え、初めて念願だった支社長になった時は、これで自分の判断で経営ができると嬉しかった。と同時に、経営とはこんなにも孤独で責任の重いものであるのかと痛感。小さな鉄工所を経営していた父の矜持を、少し理解できたように感じた。
 本社の執行役員を務めた後、現在は子会社の社長を務めるが、2018年からは甲南大学法学研究科博士前期課程でも学んでいる。
 「大学院では、若い人たちと対等の立場で議論し、時には劣等感を感じたりもしてとても刺激的、新鮮な時間です。今年は司法試験にチャレンジします。一年目は玉砕覚悟。でも全力でとりくみます。全力の向こうに新たな世界が広がることを楽しみにして」

 「全力が大切!若い時は能力を閉じ込めるな。全力の向こうにこそ、新しい景色がある」アマセンがくれた「3000メートルダッシュの教え」が、小阪さんから現役長田生へのアドバイスだ。
(2023年4月 取材、文、田中直美)

編集後記
 実は小阪さんは東京支部総会の担当回生時に、自ら手を挙げて幹事長を引き受けてくれていました。「今年の幹事長はめっちゃ熱くてヤル気満々やん!」と安心したのを覚えています。
 アマセンこと天野宏先生は、私の高校三年時の担任の先生でしたが、修学旅行の出し物で「鬼がくる♪鬼が来る♪出席簿かついだ鬼が来る♪」と替え歌を作られたぐらい、ポーカーフェイスの厳しい先生、というイメージの天野先生。小阪くんとの間にあった言葉数の少ない、でもお互い相手を尊重する関係性に驚くとともに、暖かい気持ちになりました。
関連記事

0Comments

There are no comments yet.