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「Face To Face」NO.107「記憶の地層」

山本圭史
51回生 山本圭史
櫨谷中学卒
ハンドボール部
早稲田大学理工学部建築学科卒
(株)日本設計
早稲田大学創造理工学部建築学科非常勤講師

 日本第二の規模を誇る設計事務所に勤務しながら、早稲田大学建築学科で非常勤講師として教壇にも立つ山本さん。そんな山本さんは、ある時、「それぞれの場所に地層のように堆積している人々の記憶を記録する」という発想に自身の使命を見出した。紡ぐ(spin)+ノート(note)からspinote(スピノート)と名付けられたWebサービスを友人と二人で開発。今、5700億冊のノートが地球上のあらゆる場所―30メートル間隔にグリッド分けされたマス目ーに実は既にWeb上で配置されている。そんな山本さんに建築と「spinote」にかける想いを伺ってきました。

―建築―
 現在は都内の某再開発プロジェクトに関わっている山本さん。建築に関わるきっかけを与えてくれたのは、関西弁でのユーモアあふれる安藤忠雄氏の講演だった。建築というものがとても身近に感じられた。

 コロナ前のぎりぎりのタイミングでメキシコに旅をし、大好きだった建築家バラガンの作品を見てきた。写真ではもちろん事前に知っていたバラガンの極彩色の建築物。だが、現地で見たそれらは圧倒的に美しかった。メキシコという土地でしか感じられないブーゲンビリアのピンク、カリブ海のブルー、強烈な太陽に照らされた大地の黄土色と呼応する色、色、色。
バラガン
大地の色

メキシコ
原色があふれる街並み


 それらの色は、バラガン特有のものなのではなく、メキシコの自然の中と街の中にすでに文化として溢れているものだったのだと否応なしに気付かされた。建築物には、その土地特有の自然と、その自然に根ざした文化が息づいている。戦後の日本に林立した鉄骨とコンクリートの建物には、残念ながら日本固有の文化は反映されていない。

建築学科の学生たちには「教室の中で学ぶことよりも美しい自然に触れて感じることの方が何倍も大切」と説く。

 山本さんにとって建築とは「物理的な建築物」だけではない。「人のアクティビティを創造することから始まり、社会の中でいかに人が楽しく立ち回れるかということが主題です」と言う。今はこの主題を、自身の仕事の中で具現化出来ているとはまだ言えない。だが、このテーマは「建築」という仕事の中で追及し続けていくつもりだ。

―spinote(スピノート)ー
 2017年12月30日。東京タワーに最も近いホテルの一室から夜景を眺めていた山本さんは、「この場所に立った人たちは、皆、東京タワーって最高に美しいと感じたのではないだろうか?」という考えが脳裏に浮かび、「その場所」で思い浮かんだ気持ちや思い出を共有できる方法はないのだろうか?と考えを巡らす。この時がスピノートのスタートだった。

 最初に思いついたのは宿やカフェなどで見かける「自由ノート」などと称されて、想いや思い出を、訪れた人が自由に書き込むものだ。

 山本さんは直接電話をかけたりインターネットを駆使したりして調べ上げ、日本全国に現在あるリアルなそのノートたちをグーグルマップの上のプロットしていった。その数はなんと3000ヶ所。更には1年かけて、その中の日本全国250ヶ所を実際に訪れ実際のノートに目を通した。
マップ
山本さんがプロットした日本全国のリアルにノートのあるお店や宿など。


 「ノートの書き込みの内容は驚きの連続でした。大人になっていつしか心の奥底にしまい込まれていた『本音の言葉たち』がひっそり息づき、その『場所』にずっと置かれていました。『場所』に紐づけられたリアルな言葉たちが私に語り掛けたのは『ここに人がいたんだ』という生々しい感覚でした」

 アイデアを引っ提げていろんな人に意見を求めた。慶応大学名誉教授の社会学者 浜日出夫さんからは「時間というものは水平に流れて行くものだが、これは、垂直にかさなる時間を捉えたものであるということにおいて画期的だ」との言葉をいただいた。

 スピノートの概要はこうだ。世界中を30m間隔のグリッドに分けて、そのマス目に1冊づつノートを配置するというWebサービス。ある場所においてあるノートはその場所に実際に行かないとノートを開くこともできないし、書き込んだり読んだりすることもできない。ネットを使って、瞬時に世界中とつながることができる今、それとは真逆の不自由さをまとっている。この不自由さの制約があるからこそ、拾える想いや言葉があると山本さんは信じている。

 いってみれば記憶の地層だ。時の流れをその上を行く人間が言葉で紡いだものが何層にもなってその場所でだけ生きている。だからスピノートはこれから先、何十年、何百年が経過した後にこそ、その価値が高まることになる。

 コロナで延び延びになってしまっているが、3.11被災地の行政機関からは津波跡地の記憶の継承として、また某鉄道会社からは廃線の記憶イベントとしてスピノートを活用させてほしいとの依頼が来ている。

 山本さんは、スピノートを完成させたあと、ずっと介護で自分の時間を持てていなかった母が介護が終わったことを契機に旅に連れ出した。行き先はヴェニスとパリ。二人は旅先でそれぞれにスピノートに想いを綴った。
「帰宅後にチエックしてみると、母は、なんと僕の知らない時にも一人でスピノートを書きこんでいました。あと20年か30年したら、僕は一人でもう一度旅をして、母が書いたスピノートを読みにいこうと思います。僕はその時、きっと泣いてしまうでしょうね」人が綴る記憶の地層は、その場所でしか開くことができないからこそその場所に実際にいたことを証明する強烈な力を持っていることが山本さんの言葉からイメージできる。

 スピノートはまだ生まれたばかりで、まだまだその存在は世に知られていない。これを世界中の人々に広め、新しい使い方も模索し続けたい。「それが僕の使命であり、一生をかけたライフワークになると自覚しています」

 「長田生の皆さんも、ぜひ、校舎やグラウンドでスピノートを開いて青春時代の思い出を書き込んでください。大人になって再訪して、今の自分に再会してください」
山本さんから現役長田生へのメッセージだ。(2022年1月 取材・写真・記事 28回生田中直美)


スピノート


編集後記
 私も幼い頃に、公園のブランコを漕ぎながら「この場所をいろんな人が毎日毎日通り過ぎて来たんだなあ。それを重ねたらぎっしりと埋め尽くされてすごいものになるなあ」と考えたことがあります。この時の薄ばんやりとした感覚が具現化されたものがスピノートなのだと、お話を伺ってわくわくしました。

スピノートのダウンロードはこちらから(まだベータ版ですが、これからどんどん機能を追加していきます)

https://spinote.net/

仕事場

山本さんがspinoteのために借りている仕事場。心地よい空間に自分でデザインした。



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